7月20日に71歳になった間寛平さんが雑誌のインタビューで、芸人になったきっかけや1億円の借金について語っていました。
高知出身の間寛平さんはお笑い芸人になる前までは、トラックの運転手やタイル職人など色んな仕事していましたが、交通事故の入院中のラジオから聞こえてくる漫才をきっかけに「お笑いの世界」へ踏み込むこととなります。
1億円の連帯保証人になった
地道にお笑い芸人として実績を積み上げた間寛平さんは、その優しい性格や人柄のため芸人仲間などから「借金の連帯保証人」をお願いされてそれを受けてしまいます。
ところが保証人なった仲間に逃げられて、ご自身が連帯保証人となった多額の借金を返済する事となります。
12〜13年間は毎日のように借金取りが楽屋や自宅に押しかけてくるという地獄の日々が続いていたとのことなので、同じ借金の経験者から見ると間寛平さんが本当に苦労されたということがわかります。
アメマバッジで借金が増える
間寛平さんの多額の借金も5000万円まで膨れ上がりました。
返済不能なほどに借金が増ええると、一発当てて返済したい!と思うのは誰でも同じ考えです。
間寛平さんも一発当てて返済しようと、自分の番組で人気が出始めたアメママンというキャラをバッジにした「アメマバッジ」を10万個作りましたが、その後番組が終わり、大量のバッジが売れ残り新たに1億円ほどの借金が残ることになりました。
神のお告げで行動に移す
間寛平さんは吉本にも借金をしていたため、30代半ばのころには会社にも見離され、自ら地方を営業に回って稼ぐようになりました。
そんな地方での営業中にある出来事がありました。
営業先の旅館で夜に目が覚めえると「東京に出なあかん。東京へ出てひとつ勝負してみい」という声が聞こえたそうです。
これは「神のお告げ!」そう感じた間寛平さんは東京行きを反対する吉本からの退社も覚悟して行動に移します。
そうなると吉本も東京進出をバックアップしてくれて、東京でも萩本欽一さんの口利きなどの協力もありレギュラーも一本決まり再出発となりました。
マラソンとの出会いで人生の方向が決まる
この東京進出の前後にマラソンを始めることになります。
吉本から「青梅マラソンでタイムが3時間を切ったらギャラを倍にする」と言われたなどのお話があり見事にギャラの倍を獲得します。
その後も今度はホノルルマラソンで、郷ひろみさんより早くゴールしたら倍にしてもらうと吉本に約束させて、このときも賭けに勝って、ギャラはさらに倍になったそうです。
そして日本テレビの『24時間テレビ』でその後毎年恒例となるマラソンも、寛平さんの活躍から生まれた話となります。
その後は「がんのホルモン療法」を続けながらアースマラソンに参加したり、ご自身の人生の生きがいを見つけ人生も大きく好転させています。
間寛平さんに学ぶ人生の転機
人生を変えるほどの多額の借金で苦しんでいる方には、必ず人生の転機が来ると思います。
それは借金を返済したときがそうなのか?それとも借金の解決のために苦しんでいるときがそうなのか?
人それぞれタイミングは違ってはきますが、多額の借金持ちは嫌でも自分の今後の人生と向き合うときが来ます。
その時が人生の転機です。
その転機に、借金の返済だけでなく、今後の人生の見直し、人生の楽しみ、目的などをしっかりと見つけることが大切ではないのかな?
他の借金ブロガーのブログを読んでも思うことですし、借金ニュースを読んでも感じることです。
私自身も間寛平さんのように自分のライフワークを見つけて頑張っていきたいと思います。
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