高齢者のギャンブル依存症と父親の前回のブログの続きになります。
当初はギャンブル依存症の父親のパチンコ癖を、どうにか治したいと思っていましたが、最近では高齢者の依存症の回復は難しいと考えてきました。
それは高齢者になって生活パターンを変えることはとても困難なことが理由です。
またある意味パチンコ店が、高齢者や体に障害があって、行動に制限がある場合は「社会的弱者にとっての憩いの場」でもあると感じたこともあったからです。
それに自分の小遣いの範囲内で「楽しみ」としてしているのなら、色々と文句を言わずに「老後は好きなことをして楽しんでね」という目で見るのがいいかな?とかも最近では思って来ています。
反対するよりもパチンコに行くことで気持ちを落ち着けてもらい、その中で少しずつパチンコ以外の喜びも探してもらいたい。
・・・今回はそんな思いがその後にどうなったかをブログでまとめてみました。
パチンコに行けない父親の日常
父親にとって唯一の収入源である次の年金までかなり日が空きます。
年金からのお小遣いも消えると好きなパチンコにも行けないので、いつものように病人のような生活を繰り返す父親がいます。
朝起きたらソファーに座りテレビを無言で見る。
ご飯を食べてソファーでうとうとと転寝をして、起きてはテレビを見る。
そして夕食を食べて自分の部屋で寝るだけの生活。
入院生活と何も変わりません。
父親にはパチンコ以外の趣味らしい趣味はありません。
一日の間で「何かに夢中になる時間」や「楽しいと感じる時間」はあるのでしょうか?
見た感じ・・・「楽しそうな気配」は、まったくありません。
家にいても入院中の患者としてることはまったく変わりません。
何もすることがなく、ただ時間をつぶす生活に高齢者の父親は自分でもイラつきを感じているように思えます。
父親にパチンコ代をあげた
死ぬまでそんな生活続けるのだろうか?
そんな事を自分でも考えていましたが、身体が不自由な方がパチンコで楽しそうに店員さんと話している姿や、高齢者のご老人がパチンコ店でくつろいでる姿を思い出すと・・・
楽しむ程度ならいいかも?そう思うようになり、ある日・・・事前に用意していたお金を父親にあげました。
パチンコでも行ってみたら?
でも皆心配するから、最初はすぐに帰っておいでよ。
そう父親に告げて・・・
負け続けたとしても1パチなら何回か遊べる金額だからね。
あとは自由に使っていいから。
でもパチンコ目的でお金をあげるのはこれが最後だよ。
さらにそう言って渡しました。
その時の父親の目は輝き本当に嬉しそうでした。
その嬉しそうな顔を見ると「お金をあげてよかった」と感じました。
これからもあげようかな?
早速パチンコに行く父親
お金をもらった父親は「少し顔出してみる」と言い残し、嬉しそうにパチンコに行きました。
これで2時間ほど時間潰して、家に戻り風呂でも入ってのんびり過ごしてくれたら嬉しいのですが・・・
でもそれは誤算でした。
夜遅くに帰宅
昼に家を出たのに帰宅したのは夜の9時です。
いつも夕食は6時ごろに取るので・・・今まで何をしてるんだか・・・
顔だけ出すと言いながら夜の9時間近くまでもパチンコ屋にいたわけです。
帰宅した父親の目はくぼみ顔は暗いです。
楽しい事をしに行ったのになぜ顔が暗いの?
そう思いますが・・・知っています、それがギャンブルですね。
まさか?全部使ったのかな?
そう思ってもみましたがその日は何も聞きませんでした。
そして病人のような日々
そして翌日からいつもの病人のような生活が始まりました。
結果はどうだった?と聞きましたが「少し負けた」と言っています。
でも知っています・・・おそらく渡したお金を全部使ったんでしょう。
こういう不要な嘘をつくのもギャンブル依存症の特徴ですし、それを聞くと悲しさと同時にイラつきを感じます。
当初は顔だけ出す程度のパチンコ遊びが、もらったお金を全額使う意味のない行動になっているわけです。
こんなことでお金渡してもいいのかな?
かなり今も悩んでいます。
パチンコに行くと嬉しそうな顔・・・そんな父親の嬉しそうな顔を見るが嬉しいけど・・・
でもね、やっぱりパチンコ以外の趣味も強制的でもいいので始めさせたい!
今後も息抜き程度のパチンコ資金は渡したいと思います。
同時に父親と新しい何かにチャレンジしたいな・・・そう考えています。
いつも応援ありがとうございます。